こんにちは、けんたびのけんたです。ずっと行かないといけないと思っていたアウシュビッツ強制収容所を行くことができました。ツアーに参加したので、ツアーの様子とミュージアムの中を紹介します。最後にはまとめとして私がこの体験の中で感じたことと考えたことを考察として書いております。
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アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所のツアーに参加
アウシュビッツのツアーに参加したのでツアーの内容を紹介しつつ、アウシュビッツの解説をしていきます。
ツアーは英語のツアーと中谷さんという日本人ガイドのツアーの2回参加しました。内容は両方合わせた内容となっております。ご了承ください。
予約の取り方やアウシュビッツまでの行き方などについては次の記事をどうぞ

入場から収容棟を巡る アウシュビッツ強制収容所

入場すると、ガイドさんの声が聞こえるようにオーディオが配られます。基本的には自動なので、音量調整だけして出発です。

中に入るとまずはこの無機質なコンクリートの通路を歩いていきます。ここでは淡々と被害者の名前が読み上げられ続けています。アウシュビッツは2025年で解放80年となります。近年はさらに訪問者が増えており、中には観光地感覚で来る人もいるそうです。最初に気持ちを引きしめて臨んでほしい、ここで亡くなった人が確かにいるということ、大虐殺があったということを再度認識してほしい。そういう思いがあり、最初にここを通るということのようです。近い将来、アウシュビッツを体験した人がいない世界へと移り変わっていきます。今一度、アウシュビッツの悲劇を見つめる機会に来ているのかもしれません。

日本語ツアーでは無かったのですが、英語のツアーの方は最初に映像資料を見ました。10分ほどでしたが、当時の映像なども流れ、今いるここが本当に虐殺が起きた場所であることを再認識させてくれました。

こちら有名なスローガンを掲げた門です。“Arbeit macht frei”(アルバイト・マハト・フライ)ドイツ語で直訳すれば「労働は自由をもたらす」となるそうですが、意味は収容された人に対して「働けば自由になる」というメッセージだったようです。しかし、ご存知の通り労働によりここから解放された人は一人もいませんでした。

収容棟の中に写真や遺品などが展示されています。ガイドの指示のもと中に入ります。

こちらは収容者が撮影した貴重な一枚ということです。慌てて撮られたためか写真はぶれていますが、基本的に監督者側からの写真しか残っていない中これは貴重な一枚になっているということでした。この写真は、女性収容者がガス室に送られる前、ガス室の手前で裸にさせられている写真ということです。アウシュビッツは、最も多い日には1日1万人もの人がガス室送りにされたそうです。そのような中で効率化のため(こんな言葉も悍ましいですが)、ガス室に入る前に裸にさせたということです。この後ガス室に送られ、絶命しました。

絶命したあとは火葬場に移されるのですが、焼却炉だけでは追いつきません。途中から野外焼却が行われたそうです。死体を運ぶのはナチスの軍人ではなく、ゾンダーコマンドと呼ばれる死体処理の特命を受けた同じ被収容者です。これはドイツ側の兵士の精神面を考慮し、被収容者に行わせたということでした。徹底的にシステム化し虐殺が行われました。
なお、強制収容所にはカポーという囚人を監督する囚人がいました。フランクルは著書「夜と霧」の中で、場合によってはこのカポーの方が恐ろしい存在だったと述べています。相互監視システムと特権を与えることにより囚人に囚人を見張らせたシステムが収容所内の暴動や反乱を押さえ込んだんだろうと言われているようです。

こちらは実際に使われた毒ガス、チクロンBの缶です。ガス室にこの缶が投げ込まれ収容者は窒息死しました。もともとは殺虫剤として開発されましたが、それが虐殺に応用されました。初期は一酸化炭素が使われていたそうですが、安く即効性があり、一度に多くの人を死に至らしめられるという「効率化」により採用されたそうです。



おびただしい数の靴と日用品、そしてカバンです。カバンには「後で返却するから名前を書くように」と指示され、名前が書かれています。もちろん、これは暴動やパニックに発展させないための嘘です。かばんが持ち主の手に戻ることはありませんでした。
そして、この展示の流れで髪の毛の展示もありました。ここのエリアは撮影禁止。かなり生々しい展示でした。髪の毛は殺された後に死体から刈り取られたそうです。工業用に保管されていたおよそ2tの髪の毛が展示されています。
そして背筋が凍るようですが、この髪の毛はまさに「工業用」として保管されていました。つまり、これらの髪の毛は繊維工場へと売却され、毛布や断熱材の材料として使われていたそうです。労働力として使われ、亡くなった後も金歯や髪の毛まで全て利用され、まさに「物」として扱われたのです。

収容棟の周りは電気が流れている鉄線が張り巡らされており、その前には警告の看板があります。この看板から内側に入ると射殺されたようです。


こちらはガス室になります。ガス室には1000人から2000人も詰め込まれることがあり、チクロンBが投げ込まれた後10~20分で全員が窒息死したそうです。あまりにも多くの人が詰め込まれたため亡くなった後も倒れることがなかったという証言もあるようです。亡くなったあとはゾンダーマンドという死体処理を特命とする囚人により焼却されました。

隣には焼却炉が併設されていますが、とても処理しきれず屋外で野焼きをする必要があったようです。

ビルケナウ強制収容所
アウシュビッツの見学が終わったあとは無料のシャトルバスに乗りビルケナウ収容所へ移動します。バスで10分ほどで到着です。

こちらは入り口にある死の門です。この門を汽車が通り中に入っていきました。汽車が止まり、窓のない家畜用貨物列車にぎゅうぎゅうに詰められた被収容者が降ろされた後、最初の選別が行われました。医師により右か左か小さく方向を指さされたそうです。こちらから向かって右側、医師側からだと左に指を動かされたものは労働適合者。そして、左側、医師側から右に指を動かされたものは労働不適合者とされました。労働不適合者は、到着してすぐガス室に送られたそうです。およそ8割が労働不適合者とされ、2割が労働適合者とされたそうですが、労働に従事することになった人も過酷な環境で数ヶ月で命を落とす人がほとんどでした。

こちらが被収容者のトイレだったようです。トイレといっても穴が空いているだけ。時間で管理され自由に使うことはできなかったようです。収容所は劣悪な環境下から腸チフスの患者が溢れかえりました。

一つの収容棟に250~300人の被収容者が収容されていたようです。3段ベッドで一段に3~5人が横になり詰め込まれる形で収容されていました。バラックは寒々としており、冬はマイナス20度にもなるような過酷な環境。体をくっつけ合いなんとか暖をとったそうです。とても人が生活するような環境ではありません。


ここで亡くなられた被害者の方の ご冥福をお祈りいたします。
まとめ
ツアーに参加してのまとめを書きます。
中谷さんの日本語ガイドツアーがやはりおすすめ
英語のツアーと日本語のツアーの2回参加しましたが、中谷さんの日本語のガイドツアーがやはりおすすめです。細かいところのニュアンスも日本語だから伝わるところがありますし、日本人の文化や社会にあわせて中谷さんが解説してくれるので、アウシュビッツのガイドですが、学びはもっと広く深いものになりました。
一緒に参加して仲良くなったユウタさんと振り返りながら話していてなるほどなぁと思ったのは、中谷さんのツアーでは被害者と加害者という二者関係での語りが無かったことです。アウシュビッツというとどうしても加害者としてのナチス、被害者としてのユダヤ人というのが無意識の中にあると思います(言説として)、もちろんユダヤ人に限らずたくさんの被害者がいることは事実でありそれを否定するものではありません。ただそうなっていた経緯、つまり加害者になっていく経緯と被害者となっていく経緯を史実や人間の心理的側面から説明してくださり、そこにどういう意味づけをし、どう考えるかはツアー参加者に委ねられているといったツアーでした。故に、アウシュビッツという体験を知り、それについての理解とこの先への繋げ方は自分たち自身の課題として提供されるような内容のツアーです。これがとても深い学びにつながりました。
なので、やはり中谷さんのツアーに参加されるのが一番いいと思います。
ツアーはスピードが早い
ただ、ツアーは1グループあたり3時間の持ち時間となっており、この時間内でアウシュビッツで起きたことを理解するには短すぎます。というか、「理解するのには短い」というよりも「感じるには短い」という方が正しいかもしれません。展示を見るにもどうしても流れるようなスピードになってしまうし、後ろからは次のグループが来ているのでじっくりと見てそこで何かを感じとるということは私には難しかったです。
なので、この点に関してはやはり個人入場の枠は有意義なんではないかと思いました。全てを見るのではなく、ゆっくりと自分の気になったところで何かを感じとる十分な時間を取る。そういう意味では、個人入場枠は貴重な枠組みだと思います(無くならないことを祈ります)。
通常、多くの人は一回のツアーで終わりにされると思いますが、自分は「中谷さんのツアー+個人入場」がベストだと思いました。多分、同日に予約を取ることも可能だと思いますので、これから行かれる方は検討されるのもアリだと思います。
アウシュビッツは過去のことか?
アウシュビッツを回るにあたり今回短い時間ですが、「夜と霧」を再読したり、関連映画をちょこっと見たりして臨みました(旅しながらだからあまり十分ではなかったけど)。その中で、アウシュビッツは改めて色々なことを教えてくれると思いました。それは、あまりにも多岐に渡るため、全てをここで言い表すことはできないのですが、史実としての大虐殺がここで確かに起きたこと、それを行ったのが自分と同じ人間、そしてごく普通の人たちだったということ、運命に翻弄された人々と死、そして生きるということ。
あの膨大な髪の毛の展示から考えることもあれば、3年近くの間この収容所の中で生き延び、生還し、その体験を昇華したフランクルの人生から学ぶこともあります。生きた証さえも残されなかったひとりの被害者の方を思い馳せることで気がつくことにも大きな価値があるでしょう。そして、そこから今と未来に繋げていくことがやはり必要なことなんだと思います。
今年でアウシュビッツ解放から80年になります。遠い過去の話のように感じますが、必ずしもそうではありません。今現在も「生きるに値しない命」として軽視されている命があります。パレスチナ自治区の非人道的な行いはまさに今、目の前で起きていることです。そして、非人道的な行いをしている加害者側として語られるイスラエルはユダヤ人国家として建国された国です。イスラエルを擁護する気は毛頭ありませんが、一方で定住の地がなくいわれのない理由で仲間がホロコーストで大虐殺されたユダヤ系民族の恐怖心は我々の想像を超えているのかもしれません。
われわれに何ができるのか
それでは答えが出ない問いかけになってくると思いますが、「我々に何ができるのか?」ということです。今までも人類史の負の遺産にいろいろ触れてきて、まずは「知ること」、そして「忘れない」こと。可能であれば「伝えること」これが最初の一歩としてとても大事だと思います。
しかし我々はやはり平和な日本という国に生きているひとりです。どうしたって日常生活は平和だし、食べ物は溢れているし、娯楽もたくさんあります。辛い思いをしている人がいるから、それに毎日思い馳せ、世界の恵まれない人や戦争で生活を滅茶苦茶にされている人のことを常日頃自分の世界に置きなさい。というのは全く無茶な話です。非現実的です。でも、それでも何かできることはないか。本当にそれでいいのか?とモヤモヤするわけです。
言葉にすると陳腐ですが、一つは「平和」や「言論の自由」が「当たり前ではないこと」を知っておくということは、大事だと思います。この一年間旅をして、この二つがどれほどまでに「当たり前ではないこと」なのか体験や文化を通しながら学べたような気がしています。そして、これはとても自分の中の宝物になっているような気がします。この宝物を得て、自分自身の中に「不安」が在中するようになります。これが人が誤った方向に舵を切った時のアンテナになるのではないかと思います。
そして、もう一つ今回思い至ったことがあります。それは「成長すること」です。実は「成長ありき」の考え方はあまり好きではなかったのですが、なぜ成長が必要なのか?今回少し体験として感じ取れたような気がします。ヴィクトール・E・フランクルのエピソードで心に残ったものがあります。それは被収容者が奇跡的に収容所から解放された後のこと、フランクルと一緒に解放された人が麦畑を踏み潰しながら歩いたというエピソードです。フランクルが「麦畑の麦を踏み潰すのは良くないのではないか?」と問いかけたところ、相手は激怒し「自分たちの奪われたものはどうなるのだ、このくらいのことをする権利はある」と述べたそうです。これを受け、フランクルは「不正を働く権利のある者などいない、たとえ不正を働かれたものであっても例外ではないのだという当たり前の常識に、こうした人間を立ち戻らせるには時間がかかる」と書いています。麦畑を踏み潰した人の気持ちもよくわかるので、非難することはできませんし、する権利が私なんかにあるなんて毛頭思っておりません。ここで言いたいのは、解放直後の混乱の中でさえ感情に支配されず秩序や第三者を思いやるフランクルの精神の高みです。心理学で有名な欲求階層論の頂点には「自己実現」があるとされます。そして、それを成し得たものは自己中心性から離れ世界平和を望むような精神的高みに登ると言われています。まさに、このフランクルのエピソードはそういう精神の高みであり、そこにこそ悲劇の連鎖を断ち切る叡智があるのではないかと思います。
故に、我々は精神的な成長を絶えず続ける必要があるのだと思います。それは容易なことではないですが、その高みに成長することがアウシュビッツをはじめ戦争や虐殺という歴史を生かすことになり、未来の悲劇を防ぐことになるのではないでしょうか。そして、それは平和な日本の中にいても誰もが取り組めることで、平和につながる活動なのだと思います。さらに欲を言えば、それが一人の活動で終わるのではなく、人から人へ連鎖していく善き連鎖を作ることが必要なのではないでしょうか?
ながながと書いてしまいましたが、今回の体験で私が感じたこと、考えたことを率直に書いてみました。こういう文章は思想的な要素があるので不愉快に思われた方や、不適切な表現がありましたら申し訳ありせん。ぜひ、コメントなどでご指摘いただけたら幸いです。
それでは、本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後に改めて、アウシュビッツで亡くなられた方、辛い思いをされた方々のご冥福をお祈りし、この記事は終わりにしたいと思います。


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