【ペルー】アヤワスカを体験記

 けんたです。ペルーのクスコに滞在。結構悩んだんですが、行かなかったら後悔すると思い意を決してアマゾンに伝わる秘薬”アヤワスカ”を体験しにいくこととしました。今回はその体験記です。

 それでは、Let’s journey♪

⭐️SNSで世界から情報発信中😊⭐️

けんたびを応援する

ワンクリックで投票
もくじ

はじめに:この記事を読むにあたって

 この記事にアクセスしていただきありがとうございます。本記事は、私自身が体験したアヤワスカの体験談と、その体験をもとにした考察をまとめたものです。内容には個人的な感想や持論、思想的な解釈が含まれます。

 また本記事は、アヤワスカの体験を安易に推奨することを目的としたものではありません。むしろ、実際に体験して、相応の心身への負担やリスクを伴うものであると感じています。

 読み進める中で、内容に違和感や不快感を覚えた場合は、無理に読み続ける必要はありません。あくまで本記事は、私自身の体験の記録であり、個人的な整理のための側面が大きいことをご理解ください。

 以上の点をご理解いただいた上で、関心のある方のみ読み進めていただければ幸いです。

アヤワスカとは何か?

 まずはアヤワスカについての説明です。昨今、結構有名になってしまっているようで、聞いたことがある方もいるかもしれません。ただ有名になっている理由が「幻覚が見えるやばい薬」というドラッグとしての文脈になっているのがとても悲しいのです。ドラッグとしての側面が強調されるのは個人的にはちょっと残念。本来のアヤワスカとはなんなのかと、今回体験しようと思った動機なども紹介します。なお、アヤワスカに関しては安易に広めたりするのは良くないというのが私の立ち位置なので、基本的にはブログのみの発信としています。X、インスタ、youtubeなどの投稿はしません。

 とはいえ、他に体験した人がアヤワスカについてSNSなどで発信するのは別に構わないと思っていますし、今ではアヤワスカ体験などビジネスにもなっており簡単にアクセスすることもできます。ただ、自分のアヤワスカに対する立ち位置としてはやっぱり”秘薬”であり、一方ではただの”毒”ですので、安易な使用はお勧めしないといういうスタンスです。そして、敬意からブログのみの発信としています。

*追記:アヤワスカの本場イキトスに到着して、やはりアヤワスカ自体がビジネス色が強くなっている感じがしました。それ自体は構わないのですが、思った以上にアヤワスカが簡単に体験できるようになっている気がします。あくまで「毒」です。毒を体験することがビジネスとなっていることに、ビジネスを尊重しつつやっぱり少し違和感は感じてしまいます。

 それでは、いつものようにチャットGPTの説明です。

 アヤワスカは、南米アマゾン地域で先住民が儀式に用いてきた伝統的な植物性の飲料です。シャーマンの導きのもと、精神世界との対話や共同体の調和を目的として行われてきました。近年は海外からの関心も高まっていますが、強い作用を持つため、安易な体験目的で語られるものではありません。国や地域によって法的な扱いも異なり、文化的背景やリスクへの理解が不可欠です。観光として触れる場合も、歴史や信仰に対する敬意を持つ姿勢が求められます。

 ということです。まさにこの説明の通りで、SNSなどでの広がりから有名になっていますが、本来のアヤワスカはシャーマニズムの伝統と儀式、信仰、スピリチュアリティに則ったものです。youtubeとかSNSの文脈だとどうしても興味関心を惹くために「やばい!」といった過剰な体験談が語られがちだと思います。それは、SNSの悪いところですね。

 「知るべき人のところに自ずと届く」というのがこういったスピリチュアルなものの本来あるべき形だと思うのですが、情報化社会と資本主義社会がそれを壊してしまっているんだと思います。と言っときながら、自分もブログに書くんですけどね(笑 あくまでアヤワスカとその伝統、信仰に敬意を表しながら書きたいと思います。

 前置きは置いておいて、次にすすみます。

アヤワスカを体験しようと思った動機

 では、私の体験記としてまとめます。まずはアヤワスカを体験しようと思った動機についてです。興味ないやという人は読み飛ばしてください(笑 実は結構直前まで体験するか悩みました。本当に今の自分に必要なんだろか。ぶちゃけ体験するの怖いし、不安。アヤワスカを体験しなくてもその他の方法で内面は深められるんじゃないだろうか。。。などなど。だがしかし、行かないと後悔するような気がして思い切っていくことにしました。結果、自己の境界を失う強烈な体験をしました。。その話は後ほど、「アヤワスカを体験しみて」の項目で。

アヤワスカとの出会い

 アヤワスカとの出会いですが、実は書籍です。いつ、どんな経緯で手に入れたのか今となっては覚えていません。なんでそんな本を持っているんだろうって、今思うと不思議です。おそらく10年は経過していると思うので、15年くらい前か、もしかしたらもっと前かもしれません。「アヤワスカ」というタイトルの書籍と出会ったのがきっかけでした。

 この本の筆者は癌ですでに死去されており、癌の告知を受け自身の死が近づくことによりこの本を書くことを決心したようです。自分とは何か?ということを求めて色々な苦行に取り組みながら自己探究をしていく体験談としての書籍だったと記憶しています。スピリチュアリティの要素もあり、苦手な人は苦手な内容だと思うのですが、当時読んだ私は強烈なインスピレーションを受けました。その時から漠然とアヤワスカという秘薬に興味を持っていました。

 これがアヤワスカと私の出会いです。その後、時が経るにつれてYoutubeやSNSでアヤワスカが有名になっていくのですが、最初に書いたようにドラッグとしての文脈が色濃いのが残念な感じがしています。アヤワスカがドラッグとしての位置付けで自分の耳に入ってきた時にはちょっとびっくりしました(笑 「アヤワスカ」の筆者が真摯に且つ謙虚にその体験を記述していた中、発信の仕方次第で文脈はこんなにも変わるんだなと思った体験でした。決してYoutubeとかSNSを否定するものではありません。情報発信は今の社会の中で避けられようがないものですので、それは別に構わないし発信者の問題ではなく情報化社会の功罪だと思います。

癒しとしてのアヤワスカ

 今現在、アヤワスカはセラピーとしての側面が強調されています。それは、アヤワスカという伝統的な秘薬を使い、セラピスト(シャーマン)の指示のもと自身の内面に向き合うものとしてです。繰り返しになりますが、けっして幻覚作用を面白がって体験するようなものではないと私は思っています。一種のトランス状態や解離状態を体験し、本来自我機能が抑えていたり意識化しないようにしている心の蓋を取り外す体験なんではないかと体験する前の私は考えています。それは、時に強烈なカタルシス体験(浄化される体験)として知覚され、もしかしたら強烈な治療作用をもたらすのかもしれません。一方で、アヤワスカの力を使い、本来閉じている蓋をむりやり開ける作業をすることにより、とんでもなく辛い体験(パンドラの箱を開ける体験)にもなり得るんじゃないかと思います。申し込みをした時に、「大変困難な、人生の中でも辛い体験になるかもしれない」と記述がされていました。心理カウンセリングにも通づる内容であるなと思った次第です。

 全ての体験はその人自身の個人的なものであるということを忘れてはいけないし、自分自身で受け止める準備ができている場合にのみ体験すべきものなのかもしれません。 

シャーマニズムと統合失調症

 この旅を通してですが、先住民族や少数民族というものに興味を持ちながら旅をしていました。その根底には「人間ってなんだろう?」という答えが出ない壮大な疑問が私の中にあるからです。そして、シャーマニズムはその興味関心を惹くには十分な内容です。

 シャーマニズムとは?チャットGPTによる解説です。

 シャーマニズムとは、自然界や精霊・祖先霊と交流できる存在であるシャーマン(呪術師・巫者)が、人々と霊的世界を仲介する信仰・実践体系の総称です。世界各地の先住民社会に広く見られ、特定の宗教教義というより文化的・実践的伝統として位置づけられます。

 科学が進歩した現代においては、すでに時代遅れの時代錯誤的なものなのかもしれません。特に、バラエティ番組などでシャーマンの儀式っていうと、タレントさんが変なものをかけられたり、飲まされたりして面白おかしく放送されることが多いと思います。まぁ、それはそれでいいんですが、本来は人の生活に長いこと密接に関わってきた信仰の一つです。特に、西洋科学が発展した年月よりもズーーっと長いことシャーマニズムは人の生活を支えてきていました。どのくらいかというと、西洋科学が長く見積もって2,500年程度の歴史なのに対し、シャーマニズムは3~4万年の歴史があります。実践知としてそれだけ長い間伝えられてきたシャーマニズム、それはすごいことだと思いませんか?

 ただ繰り返しになりますが、資本主義社会から西洋科学が台頭するようになり、非科学的なシャーマニズムの価値は著しく低下したと思います。シャーマニズムの根幹には(持論です)、「信じる」ということが重要なベースになっていると思うのですが、資本主義や西洋科学がその「信じる」という行為を妨害してしまうんだと思います。時にそれは嘲笑として扱われ、信じる人の信じる行為も陳腐なものとして扱ってしまう。ここにも資本主義と西洋科学による弊害があるのかなと思います。どちらがいい悪いではなく、どちらが上下でもなく、両方尊重される社会が今後求められるのかもしれません。

 また資本主義は悪いとは思いませんが、アヤワスカがビジネスになる。お金が絡んでくるとさらに問題が複雑になります。お金を稼ぐことは悪いことではありませんが、スピリチュアリティとお金は相性が悪いのは語るまでもありません。

 そして、タイトル詐欺になってしまうので、タイトルの内容です。精神科病院で勤務していた私、統合失調症の患者さんとも関わらせていただきました。実は、シャーマニズムと統合失調症には深い関係があることが我々の業界では知られています。というのも、統合失調は実は全世界で1%の発症率であることがわかっています。1%というのは100人に1人は発祥する病です。これは実はとても多い。そして、全世界で必ず1%というのは、人類の生存に不可欠な病だったのではないかという仮説が立ちます。はい。そうなんです。シャーマンとして選ばれる人の中に今だと統合失調症といわれる方がその役割を担っていたという人文学的な仮説があるんです。面白いですね。簡単にですが、統合失調症の幻聴といった症状は情報のアンテナ感度が高い故に、現代の情報刺激でオーバーヒートして幻聴として知覚され病となっているという考え方があります。つまり、本来は自然界のささやかな情報刺激による兆候を人一倍早くキャッチしみんなに知らせるというまさにシャーマンとしての役割を担っていたということです。もっと砕いていうと、ちょっとした湿度の変化、音の変化、風の変化、匂いの変化。普通の人がキャッチできない小さな情報をキャッチするためにアンテナの感度がめちゃくちゃ高い人がシャーマンの役割を担っていた(今では統合失調症になってしまう)ということです。

 現代の人間社会だとそれが統合失調症という病となって生活が苦しくなってしまう。なんだか複雑な話です。

 そして、アヤワスカはそのシャーマンの感度をさらに上げる秘薬なのかもしれません。すごいことですね。どこで読んだのかは定かではありませんが、アヤワスカを服用した時に見える幾何学的なイメージの話と統合失調症の患者さんが体験する幾何学的なイメージの報告が非常に似ているということ報告があります。その体験はもちろん同一のものではありませんし、それを体験したからといって安易に統合失調症の症状を理解できたというつもりはありません。ただ少しでもその一端を感じられたとしたら、今まで見ていた世界の見え方に何か変化があるのではないかと思うのです。

スピリチュアリティと自我と自分の立ち位置

 これは触れておかないといけないかなと思い、自分のスピリチュアリティの立場についてです。私は非科学的な現象など、基本的に信じる立場をとっています(笑)。といっても、それを盲信するということではありません。科学的な内容だけで世界は解明できないというくらいの立場です。そして、世の中からスピリチュアリティや非科学的なものを排除したら、そんな世界味気ないじゃんという感じです(笑

 なので、基本的にスピリチュアリティについては概ね肯定的です。ただし、スピリチュアリティは破壊と崩壊を生むものでもあるとも考えています。危険を伴うものであるという認識です。皆さんも体験があると思いますし、スピリチュアリティを毛嫌いする人の中には、それが理由になっている人もいると思うのですが、安易に近づくと飲み込まれる恐れがあるわけですよね。ツボを買ったり、占いに没頭して不安になったり、恐怖したりという体験がそれです。なので、スピリチュアリティに近づく時にはしっかりとしたバウンダリー(境界)を持ち、自分自身の人生は自分自身でコントロールしているという自己感覚を持っていることが必要だというのが私の考え方です。

 バウンダリーにほころび(トラウマなど)があることや、自分は人生に振り回されているという感覚、または精神が十分に成熟していない状態(こどもなんか)でスピリチュアリティに近づくとあっという間に飲み込まれてしまいます。矛盾するようですが、癒しを求めるということはほころびや傷つき体験があるということで、そのためにアヤワスカを体験する人もいると思いますが、無防備な状態で近づくのは危険を伴うんだと思います。その時に、良いセラピスト(アヤワスカでも)に出会えると飲み込まれそうな自分を冷静に助けてくれるのかもしれません。し、そういうセラピストでありたいと自分も思います。

アヤワスカが自分の人生にもたらしてくれるものを求めて

 ということで、長々書きましたが以上が自分がアヤワスカを体験しようと思った理由です。なので、アヤワスカによるセラピーとしての効果というよりは、純粋にその体験がもたらすものへの興味関心があると思います。書籍をどういう経緯で手にいれて読んだのかも今となっては不明ですが、それこそがスピリチュアリティ的に導かれてきたものというような気もします。なので、ここで体験しないと後々後悔するような気がするので、思い切って行ってみることにしました。

今回アヤワスカを体験した場所 Maha Temple / マハテンプル

マハテンプル

 今回、アヤワスカを体験したのはペルーのピサック(クスコから40~50分)の近くにあるマハテンプルというところです。公式ホームページはこちらです。もし体験してみたという方は公式ホームページから申し込むことができます。が繰り返しになりますが、強烈な体験なので、安易にはお勧めしません。それでもという方のみ、または私には必要だという方のみ推奨です。

 それにしても周りの景色はめちゃくちゃいい! 到着してびっくりしました😳 純粋にここの場所は好きです。美しすぎる。

すごい綺麗なところ

 大自然の中、自然と調和した建物。人工的な音は全くしません。鳥の囀りが聞こえるのみ。なんて美しいところだろうか。やや現実離れした美しさでした。儀式をする場所ということなんでしょうね。

寺院だから仏像

アヤワスカをいよいよ体験・実体験の記録

 アヤワスカを体験して、自分はアヤワスカの世界に入ってから大きく分けて3つの段階があったなと思います。なので、それぞれのアヤワスカを体験している時の3つの段階とその前後で区切って体験を整理します。ただ、本来は全て連続の中で起きている現象を自分が整理しやすいように区分しているという前提です。それでは、アヤワスカでどんなことが起きたのか、自分の記録も含めてですが、体験記を記します。

ついにアヤワスカを試す時が来た

儀式用の部屋

 日暮ととともに儀式が始まる。あたりはだんだん暗くなり、部屋には蝋燭が灯されてシャーマンからのイントロダクションを受ける。一通り終わると、シャーマンからアヤワスカを飲み、時計回りで1人ずつ配られる。自分は最後から2番目。1人ずつ祈りを捧げて飲むから、自分の番が来るまで意外と時間がかかる。

 実は、偶然日本人が私を含めて3人参加(そんなことある!?と思ったけど!)。そのうちの1人、セイアくんの番が来て、その後にいよいよ自分の番。シャーマンに対して一番奥の位置まで移動し、セイアくんが飲み終わるのを待ち、いよいよシャーマンの元へ。前でひざまづき、シャーマンの顔を見る。ろうそくの明かりに照らされたシャーマンの顔は、私の方をじっと力強く見つめ、覚悟を問われるような、何かを見透かされているようなそんな雰囲気を感じる。私のためにアヤワスカをコップに入れ祈りを捧げたあと、渡される。中には思ったよりも少量の液体。ろうそくの火に照らされているためか黄土色っぽく見える。私もアヤワスカに祈りを捧げ「カウサイパック(ケチュア語で”命のために”)」と唱え一気に飲み干した。ゴクゴクゴクと三口くらいで飲める量である。どろっとしたキナコを液体にしたような味。それほど不味くはなかった。

 自分の席に戻ると最後のタイガくんがアヤワスカを飲み干し、席に戻る。ここから20~30分ほどアヤワスカの効能が出るのを待つ。部屋に灯されていた蝋燭は消され、真っ暗になっている。飲み終わり、席に戻ったあたりから若干気持ち悪さが感じられる。ただ、効能なのか味によるものなのかは定かではない。10分かそこらした後、視覚に変化が起きているような感じ。これもまた、真っ暗闇の中で見えるノイズなのか、効能なのか不透明である。なんとなく一番最初に吐くのは嫌だなーとぼーっと思いながら過ごすが、見事に一番だった(笑。それは突然やってきた。込み上げる吐き気にバケツを持つ。教えに則り、前日は軽いベジタリアンスープのみの摂取だったので胃には何も入っていないから出るものはない。その変わり一気にアヤワスカが体内に吸収されたような感覚。「しまった。効果がしっかり出るようにという指導だったのか」と当たり前のことをなぜか後悔する思考が襲う。そして、嗚咽が終わったと同時に。。。

第1段階:強烈なアヤワスカの世界の体験

 左手から歪んでいく。世界が幾何学模様に見え、黒く四角いイメージが連なったように世界が知覚されるが、左側から歪み崩れていく。心拍は早くなり、呼吸も速くなっているのを遠い意識からかろうじて感じる。幾何学模様の世界が現れ、その世界に閉じ込められる感覚。空から円盤を幾つにも重ねたようなもの(クロワッサンを輪切りにした感じ、エヴァの使徒?)が落ちてくる。鮮やかな黄色が主体の世界。さくらももこのコジコジなどのメルヘンな世界の映像が見える。これはこの文章を書いている作業の中で体験したことを脳が整合性をつけようと改変していると思うが、まさに「壊れたカタログ(統合失調症の方が書いた絵画)」という絵画の作品の世界を感じられる。そこから、四肢に強烈な痺れとともに身体感覚が感じられなくなる。

こんな感じのイメージ

 「一瞬にして永遠。」この幾何学模様の世界から出ることができなくなる圧倒的恐怖感を感じ、思わず「助けて。早く終わって」と助けを乞う(後に効きが遅かったセイアくんが実際に「助けて」と声に出していたと教えてくれた)。じきにこれはもう死んでいるのではないか。生きているのか?生きて戻れるのか?という恐怖心とともに、アヤワスカを試したことを猛烈に後悔する念に苛まれる。この時一度死を体験したのかもしれない。これが死後の世界なのであればそれは怖すぎるという思考が浮かんだのを覚えている。同時にドラッグとして作用への恐怖。こんなものを手軽に遊びで使うなどもっての他(科学生成された違法薬物として使われている)というかろうじて残った理性で考えている自分がいる圧倒的な恐怖感。統合失調症の幻覚状態がこれであるのであれば、それはただただ恐怖体験である。出口のない内面の深淵、SFのような空間の歪みと時間の喪失。あの一瞬には時間の流れは存在していなかった。こちらの世界に戻って来てからだと思うが、おそらく幼少期に見た強烈な悪夢。書くと笑い話だが、永遠の時間の中で踊り続けるという夢を思い出す。年齢にしておそらく4〜5歳くらいの夢だと思う。こっちの世界に戻ってきた時、世界の芸術家や漫画家がどれほどこの世界を絵画として表現しているのかということの凄さを思い知る。出てきたイメージは、ダリ、ベルセルク、壊れたカタログ、コジコジ、不思議の国のアリス、分裂病の少女の手記。ナルトの幻術”イタチがカカシ先生にかけた月詠”、呪術廻戦五条悟の無量空処、ブラックジャックによろしく、ムンクの叫び。それらを見るのでなく、世界として知覚することの恐怖。こうやって書くと厨二病みたいで滑稽に見えるかもしれないが、SF世界のそれが現実になった時の恐怖は計り知れない。

 そして、圧倒的に抗うことのできない強烈な体験。自分の力ではコントロールできない、アヤワスカにされるがママになっている非コントロール感の中、恐怖とともにこれが統合失調症の幻覚状態なのかもしれないとその圧倒的恐怖感に打ちのめされる。幾何学模様の世界に落ち抜け出すことのできない恐怖。逃げ場がないという圧倒的恐怖と永遠に感じられる時間。「助けて。この世界から一刻も早く連れ出して。」それが唯一の願いだった。

第二段階:現実とアヤワスカの世界の混合状態

 そんな深淵を彷徨っていると、突然音が聞こえる。今となっては、その音に導かれるように、または引きづられるように、こちらの世界に呼び戻されたような感覚で戻ってくる。そう、シャーマンたちによるイカロ(儀式歌)である。音がこれほどまでにダイレクトに内面に影響してくるとは、、、マラカスのシャカシャカした音が、不快なほどに大きく脈略なのない波として、そして聞こえてくる方向の掴めない不快な音として体験される。それでも現実世界へ戻ってくる灯火のように、イメージを無理やりくっつけるとしたら暗闇の中にある一点の光のように意識できない意識状態で漠然と感じられていたと思う。まだ、アヤワスカの効果は圧倒的力を放っている。部屋に戻ってきたと思うが、部屋は歪み空間の認識は全くできない。「ここはどこだろうか。。。」息が上がっている自分に気づき、自分で自分の体を触り体があるという安心感を感じるとともに儀式の部屋にいることをかろうじて認識する。「大丈夫だ。ここは守られた空間だ」とかろうじて言い聞かせるのが精一杯である。と同時に、イカロが激しくなったのか、現実世界への道標であり灯火であると同時にアヤワスカの世界を増幅するものでもあるらしい。「一度部屋をでたい。夜風にあたってもいいって言ってたよな」となんとか思考し体を動かそうとするが、そんな抵抗は全く意味をなさず、再びアヤワスカの強烈な世界に導かれるのである。

 現実とアヤワスカの世界を行き来する。繰り返し襲ってくる吐き気(嫌な感じで吐く、むしろ吐きたいという感じ)、バケツに出さないといけないという理性がかろうじて働き、左手でバケツを取り前に抱え込む。が、持っているバケツが溶けていく。右手で押さえているところから、ずるっと下にとろけていくのである。思わず、バケツを左に置く。すると、バケツが床とぶつかる「コツっ」っという音で、一瞬我に返る。そして、再びバケツを抱える。するとバケツがまた溶ける。これを繰り返す。繰り返しているうちに時間がループしているような感覚に陥り、ループの世界から抜け出せない恐怖に陥る。が、最初の圧倒的恐怖感は弱まり、同じ動作を繰り返している自分に気づき、笑えてくる。そういえば、病院で勤務している時に、精神運動興奮状態にある患者さんが同じ動作を繰り返す(自閉症の常同行動とは違う)ことを思い出す。あの余裕がなく冷や汗をかきながら同じ行動を繰り返す患者さんもこのような永遠のループにハマっていたんだろうか。はっきりいって想像し尽くせない恐怖体験である。

 しかし、この段階になると半分はこっちの世界にいる感覚になる。かろうじて(この表現が近い)、かろうじて思考することが許される。アヤワスカに聞きたかったこと、「人間とは何か?」そんな壮大なテーマを投げかける。そこで見たイメージ。人間の精神世界における果てしないほど深い深淵。意識の下に果てしない広がり(まるで宇宙のようなそうではなく赤い光の世界のような、永遠続く広い空間)のイメージを見る。その場から動かずとも、人はこれほどまでに果てしなく広がる豊かな内的世界を持っているのか。凄すぎる。そして、つぶやいたのを覚えている「人間っておもしろッ!」。このイメージが今回のアヤワスカの体験で最も意味があったもののように思える。人間は面白い、人間の内的世界の深淵の広さ。その末端に触れた。アヤワスカはちゃんと答えてくれた。それを感じ、自然と強い感謝の念が湧き上がってくる。

 同時にこのタイミングでは、身体感覚の喪失が起こっていた。ギリギリこっちの世界にも戻ってくることが増えたが、それでも圧倒的なアヤワスカの支配下にいた。こっちの世界に戻ってくる一瞬で、自分の体があることを確認する。足を触り足がある安心感を感じ、胸を触り胸があることの安心感を感じるが、またすぐにアヤワスカの世界へ移ろう。そして、戻ってくると右手でなんとかおでこを叩き頭があることを感じる。「あぁ、大丈夫だ。ちゃんとある」そして、またイカロの歌とともにアヤワスカの世界へ連れて行かれる。なんとなくお守りとして右足のポケットに入れていた祖父の形見が役に立った。ここにじいちゃんたちがいる。そして足がある。自分の身体がちゃんとそこにあるという認識ができることの安堵感。アヤワスカ、日々の当たり前にあることの感謝を教えてくれる。恐るべし秘薬。

第3段階:アヤワスカの余韻に浸る

 時間はどれほど経ったんだろか。数分だったようにも思うし、数時間経っていたようにも思う。アヤワスカの影響下にはいるが、徐々に現実世界にいる時間が増える。この時期になると、もう少しアヤワスカの世界に浸りたいという気持ちが出てくる。息は上がり、背もたれに寄りかかりながら今度は自分からシャーマンたちのイカロに合わせアヤワスカの世界に入ろうとする。だが一方で、徐々にシャーマンたちのイカロが脈略のない深淵の世界で聞こえていた曖昧で漠然としたつかみどころのない音から、現実の定位できる音として聞こえ始める。そして、その歌が心地よい。意識は朦朧としているが、その歌声に合わせ頭を振り、同じ音を口ずさむ。「あぁ、大丈夫だ。帰ってきた。。。」

 強くはないが程よい幸福感に包まれ、今見てきたビジョン、そしてありとあらゆるものへの感謝の念が湧き上がってくる。自分は特定の対象を持たない、すべてのものへの感謝という感じだった。

 もし今見た幾何学模様の世界や、時空が歪んだ世界が統合失調症の患者さんの幻覚に近いというのであれば、とんでもない世界に生きていることを知る。内面の深淵にハマったというべきか、幻術世界のリアル版というか、永遠にも感じられる時間の中で逃げ場がないという圧倒的恐怖感があった

 そして、この段階になると思考が働くようになる。病院で勤務していた看護部長さんが患者さんの横で腕を掴み、「大丈夫か、帰ってきたかー」と優しく声をかけているシーンを思い出す。部長は「俺にはそのくらいしかできないから」と言っていたけど、その声と肌を掴む感覚がその深淵から現実世界に帰ってくる道標になっていたかもしれない。その声に救われた患者さんは表には出てこないがたくさんいるのではないだろうか。

 だいぶアヤワスカの効能が薄れ、いろいろなことが思考をめぐる。このタイミングであまりにも強烈な体験すぎて、とにかく体験をまとめたいという感覚に囚われ、異様なまでに目が冴え興奮を感じる。しかし、儀式はまだ終わらない。自分が今どのくらいの時間アヤワスカの世界を旅していたのかも定かではない。儀式の最中は時計もスマホもない。ただ、目の前に広がる暗闇とシャーマンたちのイカロが聴こえるだけである(それにしても、シャーマンたちのイカロ、歌声はめちゃくちゃ美しい)。時に、女性のシャーマンが暗闇の中を舞っているようである。真っ暗な中、幻像のようにかろうじて姿が見える程度のものである。不思議と、もう経験したくないという気持ちと、またアヤワスカの世界を体験したいという気持ちが現れてくる。

 意識もはっきりしてきて、完全にこちらの世界に戻ってきた。儀式は終わらない。横になり毛布をかけてシャーマンたちのイカロを聴く。それ自体はものすごく美しい声と演奏なので、半ば音楽鑑賞である。自分ではアヤワスカの効果は消えてきたと認識し始めているが、実際にはその後もそれなりにアヤワスカの効果は持続している。半睡眠状態で色々な思念が浮かんでいたと思うが、そのほとんどは失われてしまった。というよりも、第1段階から第3段階まで進んでいる間にも体験したものはその瞬間に失われ始める。おそらく、脳が処理しきれない未加工の情報を処理し、整合性をつけ始めるのかもしれない。圧倒的情報量をいわゆる置換し使いやすい形に置き換え始めるのである。したがって、色々な既存の近いイメージを持ってきて説明しているが、それはすでに加工されたものであり、絶賛アヤワスカの世界にいる時の世界とは一線を画すものであることを付け加えておきたい。

クロージング

 相当な時間が経過したところで、クロージングである。シャーマンが蝋燭に火を灯しセッションの終わりを告げる。アヤワスカの世界から戻ってきて安堵し、落ち着き、そして退屈を感じる。”退屈”という感覚が感じられるようになるときにはだいぶ回復しているというのは、自分も仕事をする中で度々感じたものであるが、ここでも同じような段階を経て渦中から平穏な世界に戻っていく体験をする。

 そして、クロージングはアヤワスカの儀式の世界から現実世界へ定位する上でやはり大事なものなんだろう。本質的には異なるが、我々の心理療法にも通づるものがあることを実感する。しっかりとこの世界に戻ってきたという感覚を感じ儀式は終わった。あぁー、よかった。

考察

 それでは、アヤワスカを体験しての考察です。今回の体験を通して考えたこと、感じたこと、その他諸々をつらつらと書いていきます。最初体系的に書こうとしたけど、無理だったのでつらつら書きながら出てきたことをつらつら書きます(笑

 まずは何よりその強烈な体験であること。安易に人に勧められるかというとやっぱりそれはない。必要な人に必要な分届くべきものというようには改めて思う。そこにはどうしてもスピリチュアリティ的な感性になってしまうが、いわゆる「導かれる」という体験でたどり着いた人だけが体験すれば良いというのが体験してみての私の感想。「えー、幻覚みれるの!?おもしろそー」「将来のビジョンが見えるの?見てみたい」というので体験するのはうーん。おすすめしない(笑 正直そんなに生半可な体験ではなかったからである。でも一方で、あまりにも強烈な体験だから、誰かに話をしたいという衝動に駆られる感じも正直するので、SNSが普及している今、この体験をSNSに投稿するのは全然構わないと思う。

 心理療法として心の癒し効果はあるのか?ということにも言及したい。ぶっちゃけ、あると思う。ただし、かなり強烈なショック療法という感じがした。アヤワスカの効能により、普段閉じられているパンドラの箱を無理やり開けることにより、強制的に内なる深淵へ連れて行かれそこで内的対話が生まれることにより、過去の体験と今持っている課題が多角的に問われ再構成される、そして身体的な感覚が嘔吐という体験とリンクしながらカタルシス(浄化)に導かれるという側面は大いにある気がする。しかし、それはアヤワスカを体験したからすべての人が絶対的に癒されるというものではないし、かなりしんどいイバラの道にもなり得る。その癒しには自分自身と向き合いたいという想いと準備性、そして優れたシャーマンの存在が不可欠であると思う。アヤワスカを一つのセラピーとして捉えるとするならば、正直自分たちが普段行うカウンセリングの対極をいくセラピーである。我々は普段、安全を確保しその中で本当に少しずつトラウマを処理していくという手法を取る。一方で、アヤワスカは一気にドーン! と一直線に深いところまで連れて行かれ、抗う術もなく向き合わされるという感じだろうか。本来のシャーマニズムは”アヤワスカの導きのままに”という考え方がある(今のシャーマンがどう考えるのかはわからないけど)。つまり、アヤワスカが導いた結果、”死”という結果があってもそれはその導きのままに捉えるというのは本来あるべき姿なのではないかと思う。死は決してネガティブなものではなく、生まれ変わりと再生の象徴とされる。とはいえ、実際に亡くなってしまったらそれは今の社会では許されないことだから、安全性には十分に配慮していると思われるけど。言いたいことはそれ相応のリスクがあると感じたということである。

 また、アヤワスカがそれぞれの人が抱えている課題や興味関心により、効果の出方や体験が大きく異なることを日本人が3人いたのでシェアし確認することができた。それぞれが全く別の体験をしていたのは興味深い。心理的な抵抗や自身の持っている課題などにより効果や現象の出現の仕方がまるで異なっていた。そして直接的ではないにしろ、アヤワスカがその人自身の問いかけに答えてくれているというのもそこに神秘性を感じる体験である。もちろん、科学的にはそもそもが持っている自分自身の問いかけや体験に対して作用しているという見方が妥当だろうけど、それを差し引いても長い間アヤワスカが神聖視され、大切な秘薬として現代まで受け継がれてきている神秘性があり、そこにロマンがあるのではないかと思う。

 あと、生まれ変わり体験としてのアヤワスカというのはある。最初の第一段階での強烈な体験は、ある意味一度擬似的な死の体験と言ってもいいのではないだろか。儀式が終わった後の世界。雨が降っていたけど、雨の音と土の匂い、漆黒の夜が妙に清々しく新しいものとしてみれた。それは、朝になり太陽が登り鳥の声の囀りを聞いた時も同様にあたらしい世界に生まれ落ちたような感覚を覚えた。

 あぁ、自分の体があるって幸せなことだったんだ。人の内面の深さを教えてくれてありがとう。人間ってやっぱり面白い!!

まとめ

 以上、アヤワスカの体験と考察でした。正直、この文章すごいしっくり来ているかというと、うーん。まだなんか書き残しがあるような、もっとなんかこう言葉にならない何かがある感じがしてスッキリしない感じがありますね。そもそも、このアヤワスカの体験自体と「言葉」というものの相性が悪いのか?そんな感じもしております。この体験、自分の人生の一部として統合されるにはもう少し長い時間が必要なのかも。気が向いたら?何か新しい内容が浮かんできたら?追記できたらなと思います。

 それでは、Have a nice journey♪

最後に3人で

Support けんたびを応援

 いつも応援ありがとうございます!! 記事が少しでも良いなぁと思ったら、応援お願いします!

 

ニュースレターで最新記事をGet♪

5人の購読者に加わりましょう

 最新記事を見逃さないように読者登録!! 3日に1回程度更新しています。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシー および 利用規約 に適用されます。

reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

もくじ